大学生活をLIGとリクルートに捧げちゃったけど後悔なんてひとつもないゾ
あっという間に春ですね。ながちです。
本日、2年間勤めたリクルートライフスタイルを卒業しました。
大号泣不可避の送別会。ありがとうございました。
そして本日、正式に大学卒業が決まりました。
5年間の大学生活、振り返れば「LIGとリクルートに捧げた」としか言いようがありません。
長くなりますが、春に免じてちょっとだけ振り返らせてください。
2011年3月11日の震災により、入学式のなかった世代
大混乱だった2011年春、法政大学国際文化学部に入学しました。
当時のわたしは、「ドイツと日本の映画を学び、将来は映画監督になりたい」と思っていました。
そんな中震災が起きて、入学式がなくなり、遅れ遅れて入学時期は5月に。
暇になった4月で何かできないかと、知り合いの国際系インカレサークルをお手伝いし始めました。
で、このインカレサークル活動にどハマり。
法政の映画サークル拠点が違うキャンパスなのと、ドイツ語の先生とのそりが合わないことを理由に、夢をいったん置いちゃいました。
その後、インカレサークルで出会ったバックパッカーでWEBベンチャーな先輩たちに影響を受け、
文字通りバックパッカーでWEBベンチャーなキャンパスライフを送るようになりました。
サークルの先輩の紹介で、LIGにて有給インターンを開始
18歳のわたしは、経験のない海外への憧れで胸いっぱいでした。
今まで本と映画とバンドしか興味がなかった超インドアな人間に、
バックパッカーの先輩たちから見聞きした世界中の写真と体験談は刺激が強すぎたようで。
とはいえお金がない。なので、死にもの狂いでバイトをしました。
居酒屋とファミレスのバイトを掛け持ちしていた私は、
それにも満足できず「授業とバイトまでの時間すら惜しい。授業のない午前中も仕事したい」と働きたくて仕方がありませんでした。
結果、インターン斡旋会社でインターンをしていた先輩に、LIGを紹介されました。
2011年夏のことです。
今では珍しくありませんが、当時はそれほど多くない有給のインターン。
そのころ、LIGは8人ほどの小さなWEB制作会社でした。
(今となっては100人近くいらっしゃる…いやはや)
もちろん、今のLIGの代名詞である「LIGブログ」も「おもしろ企画」もありません。
最初の頃、初代広報である木村ジェイマサユキさんと一緒にひたすらテレアポをしていたのが嘘のようです。
その後LIGがどんどん成長し、初のLIGブログライターに抜擢されました。
「GO!GO!台東区」という街探検の連載企画です。
それまで時給でリスティング広告を担当していたのに、突然ふりかかった従量制の仕事。
取材アリ、1記事2000円でした。
お金が本来の目的だったので、ここでやめてもよかったのです。
でも、文章を書くことでお金がもらえる嬉しさと、どんどんと変わってゆくLIGは刺激的でした。
実際は、やめようとは1ミリも思わず…。
それから1年間、2012年の冬までずっとLIGブログを書きつづけました。
(途中、半年ほど留学へ行きましたが。こんなことも書いていたよ)
LIGとの協同で、日本一周温泉ライターに
2013年春。大学3年生の年に、1年間の休学を取りました。
LIGからの全面協力のもと、温泉めぐり日本一周するために。
温泉の記事を書き続けることで、
お給料としてガソリン代・飲食費などをもらっていました。
たくさんのわがままを言いながら、お手数をおかけしながら、
結果LIGにとっていいことなんてあったのだろうかと思いながら、
どうにかこうにか半年間かけて温泉ライターとして活動しました。
地方移住→LIGでWEB編集
それから地方移住にあこがれて愛媛県でバーテンダーをした後、
LIGに戻り、3か月ほどEDIMO(旧LIGMO=LIG Media Outsourcing)チームでWEB編集者として働かせてもらいました。
いわゆるオウンドメディアの編集で、チームみんなが手さぐり状態の中、泣きながら仕事をしていたことを思い出します。
2014年2月。LIGで働き始めて2年半ほど経ったころです。
休学の1年間が終わり復学するころ、わたしはLIGを続けるか迷っていました。
もうすぐ復学したての大学3年生。
LIGにいたらこのままここで働くことになりそうだぞ、と。
それでももちろん幸せだけど、単純に、
もうちょっと広い世界を見たほうがいいのでは、と。
離れることを決めてから数週間後、LIGと縁があったリクルートライフスタイルのじゃらん編集部で、紙の編集アルバイトとして採用していただきました。
企画書を書き直し続けたアルバイト時代
初めての紙編集。なんだかよくわからない、20年以上続く旅行情報誌。
LIGとは規模も文化もまったく異なる、大きな会社です。
「どうしてこんなにエクセルを使うのか」
「なぜこんなに確認しなきゃならないのか」
と、今となっては分かることも、作法が違い過ぎて戸惑う日々。
何度も何度も企画書を書き直して、それでも全然通らなくて、正直つらすぎワロタでした。
初めて自分の記事が世に出たのは、リクルートに入って5か月後の2014年8月号。
温泉を巡っていたときの経験を生かした「まちカクテル旅」を企画しました。
それから1年間、この「旅のトレンドキャッチ」連載と、
LIGの経験を生かしてじゃらんのオウンドメディア(じゃらんnews)を作り続けました。
就活が終わり、アルバイトから契約社員になりました
かなり早い段階で就活が終わり、大学4年生である1年間の過ごし方を考えました。
(リクルートとは別の会社に入社予定です)
ゼミも卒論も強制ではなく、1~2年生のときにちゃっかり単位をとっていて、とにかく時間があったのです。
編集部の先輩からは「今しか遊べないんだから遊んでこい」と何度忠告を受けたことか。
とはいえ、リクルートで働けるのも今だけ。
マネージャーに相談したところ、「今まで通りアルバイトのままでもいいけど、せっかくがっつりやるなら、もう社員になっちゃったほうがいいよね」とありがたいお言葉をいただき、大学4年生の1年間は契約社員として働かせてもらうことになりました。
(室長、部長、人事部のみなさまには多大なお手数とご心配をおかけしました…)
(もちろん授業はほとんど取らなくて大丈夫な状況だったので、ちゃんとフルタイムで働いてましたよ!)
それからはもう、
モーニング連載スイーツ本部長コラボ企画、信州別冊などなど随所でがんばりました。7月発売号よろしくおねがいしまーす!今ならウォーリー×にゃらんのレジャーシート付きも♡
じゃらんで迎える最後の責了日。刻々と近づいてくるぞ卒業。たくさん記事持たせてもらったなあ。愛しかない。愛しかないわ
楽しくてしんどくて最高な1年間でした。
アルバイト期間を含めると、編集した企画は30本以上、持った企画すべてあわせると50本近くになります。
どの企画にも日本一周の経験が生きたので、ほんと無駄なことってないな~と改めて実感。
社員になり変わったのは、他部署の方、プロのカメラマンさんやライターさんなどともお仕事をさせてもらうようになったこと。
本当に本当に、たくさんのご迷惑をおかけしてしまいました。
大きくて温かい力をお借りしながら、なんとか作らさせて頂きました。
紙のスケジュールと合わなくなり時間があまり始めた最後の時期は、
WEB記事編集・ライターと同時進行で動画製作をしていました。
映画監督を目指していた18歳のわたしの夢も、少しは浮かばれたのかなと思います。
そして本日、リクルートを卒業。
振り返れば、「任せる」文化はもちろんのこと、
「聞く」文化が本当に素敵な会社でした。
たとえば、旅のトレンドキャッチ連載から学び得た「トレンドキャッチ術」、
LIGとの経験を照らし合わせた「紙とWEBのつくりかた」、
他エリアの温泉事情を伝える「全国温泉勉強会」、
紙で戸惑った経験をまとめた「雑誌編集はじめてガイド」、
製作を通して考えた「動画の考え方作り方」など、
いくつもの勉強&報告会をさせていただいていました。
こんなヒヨッコのわたしの話にも真摯に耳を傾けてくれて、感謝感激です。
結果的に、上期に新人賞、下期に敢闘賞、11月号に作った記事ではエディトリアルコンテストの賞など、なんかもう本当に身に余る賞をいただき、恐縮の極みでした。ううう。
正直なところ。
SNSを開けば大学の友だちはめっちゃ旅行してるし、平日昼間の誘いは全然無理だし、この1年間はふつうに盆と年末年始しか休めませんでしたが、
こんな経験をさせてもらえて後悔のひとつもありません。最高。
5年間を振り返って思うこと&今後
ここに書いたことがわたしの学生生活の主な思い出です。
ほかにも、東京で193ヶ国の料理を制覇するリレーブログをやったこと、
大学のマスコミ講座で過ごしたこと、
スイス留学で遊び呆けたこと、
愛媛でバーテンダーをしたこと、
電通やチームラボでのインターンなど、
忘れることのできない思い出がたくさんあります。
なぜか結婚までしてしまいました。
平たい言葉ですが、5年間で人生変わってしまったようです。
後輩からちょくちょく相談を受けたりしますが、
もう本当に、大学生活は「憧れを潰す」ことに尽力すべし、です。
憧れていることをやってみる。
で、違ったなとか、これかもしれないとかを感じる。
そのほうが就活、迷わないと思います。
3月はばたばたと予定があり、あっという間に4月に新卒入社です。
インターネット業界のNHKみたいなところで働きます。
「WEBに戻る」ことに関しては、また追って記事に。
卒業後の進路をリクルートにしなかったこともその時に書きます。
いつまで学生なの、と言われ続けましたが
(そういえば入学当時のあだ名が「さんじょ」(=3年生女子)だったなあ)
もうそろそろ、いいかげん、卒業です。
「学生だからまあいいや」と仰らず、
向き合いご指導くださったLIG&リクルートのみなさま、
本当にありがとうございました。
かしこ。