生活になるべく蓋をする


仕事で銭湯の撮影に行った。
観光地にあるような共同浴場や元湯のようなところではなく、完全な生活銭湯だ。

そういうところの撮影は難しい。
温泉の取材を死ぬほどやってきたから、すごく痛感する。
そこに住む人が普通に、自分の家の風呂のように使っている場所なのだ。

部屋の写真や最寄駅の写真をわざわざ撮らないのと同じ。
近所の公園や通勤電車にエモーショナルを感じないのと同じ。
ましてやみんな裸。写らないので、大丈夫ですので…いやいや、だからと言って不快なのは違いない。
開店前に行くのが一番良いのだけど、お互いの都合でそうできないときもある。難しい。




湯をいただき、脱衣所でくつろぐ。

こういうところには大抵、常連用の棚がある。
おばあちゃんが背伸びをして手に取ったマイお風呂グッズ。どきどきする。
固く縛ったビニール袋の中には、輪郭のはっきりとしたプラスチックの桶。カミソリとビオレ。
誰かと誰かの生活が、銭湯にはあまりにも、混在している。

なるべく生活に蓋をして、漏れないように気をつける今日この頃、こういう風景に出会うと緊張してしまう。
普段見ることのできない他人の生活こそ、フォトジェニック極まりないことを、私は知っているのだ。



ちょうど風呂から上がってきたおばあちゃんが、マイお風呂グッズをほどくおばあちゃんに話しかける。
「あらあんた遅いね」
「そう?あんたもう終わり?」
「終わりよ、疲れちゃった」
「なんだ、逃げんのかい」
番頭のおばあちゃんが混じる。
「あんたもう休みなよ、湯上がりなんだからゆっくりすんだよ」
家族のようなやりとりに、聞いているこちらが恥ずかしくなるほどだ。


何もかも撮りたいけれど、やっぱりここは、カメラなんて持ち込むとこじゃない。