「資本主義に疎い」ってなんだろう

「私たち、資本主義に疎くて」と話す女性(正確にはご家族)に出会ったのは3月のこと。 私はその頃四国南部にいて、その女性とは掘建て小屋のような温泉で出会った。家のお風呂を一回り大きくしたようなちんまりした浴場で、まるで姉と妹のよう に、1時間ほど温湯に浸かりながらお喋りをした。

「資本主義に疎い」という言葉を引き出したのは、私の旅連載の話題だった。インターネットを使わないから読めなくて残念、と言われたのだ。彼女たちは電波に乗らず、川か海か山の近くに車を停め、キャンプをしながら過ごしている。3歳だか4歳だかの女の子と犬を連れているそうだ。青森から下って来たという。

「どうして旅をしているんですか」
「新しい住処を探しているんです」

旦那さんがかろうじてたまにFacebookを使っているそうで、私と旦那さんはFacebook上でお友達になった。そして先日、旦那さんがこうポストしていたのを見つけた。


「旅も一段落。電気もガスも水道も電波もない、あるのは森と川。新しい我が家。」


今日また、川か海か山の近くに車を停め、キャンプをしながら過ごしているご家族に出会った。彼らは野良の温泉で体を清め、日差しを蓄えた岩肌でタオルを乾かしていた。別府で出会った2つ下の男の子は、界面活性剤が苦手だと言っていた。携帯電話を持たずに過ごしているらしい。知人は沖縄の「BEACH ROCK VILLAGE」というイベントで、「今の家?うーん、近畿かなあ」とエリアで答えた男性に出会ったそうだ。

いる。確実にいる、現代日本を生き抜くヒッピー達が。 私は先に紹介した女性の表現がとても好きだったので、彼らのことを密かに「資本主義に疎い人」と呼んでいる。誤解されるかもしれないが、侮蔑ではない。彼らの方がよっぽど別のことに敏感だと思う。

資本主義に疎いということは、多分、お金やモノに囚われにくい、ということだ。必要分だけあれば生きていけるんだろう。ヒトに対する一種の諦めも感じる。分かりやすいのは電波と情報で、一様にして彼らはその類いを疑っていた。なるべくお金を使わず、自然に寄り添って生きていく。旅人であれば「沈没型」と呼ば れるタイプだろうか。何百枚もオブラートに包んで、オーガニックという言葉を選び取ることができるかもしれない。けれど実態はもっと、泥臭い。

国内外問わずそういう人々を幾度か見て来て、その度に「ああ、無理だなあ」と思う。私は彼らのようにはなれない。そもそも電波がないと連載は続かないし。どうやって生きたら、そんな考えに至るのだろう。小さな頃に家族とキャンプした経験もひとりで発展途上国を旅した経験もあるのにな。結局わたしにとって、ただのエンターテイメントだったということだろうな。

生活自体はどっぷり現代社会に埋まっていても、どことなく資本主義に疎そうな雰囲気を 持っている人が私の周りにいる。彼らからは煩悩も執着心も感じられない。変わりゆく必要だけを求めている。そしてそういう人を見る度、自分の頭の中はなんて煩悩だらけで卑しいんだろうと思う。

先日、ヴィパッサナー瞑想に行って来たという友人から話を聞いた。10日間誰とも喋らず接触せず、瞑想を続けるというものだ。

「どうだった?」
「自分がどれだけ煩悩だらけか気付いただけだった」

私はこの返事を聞いて、爆笑した。 そうだよね、彼氏や友達や家族に会いたくなるし、美味しいもの食べたくなるし、可愛い服着て遊んで好きな時に寝て暮らしたいよね。


何もおかしなことなんて、ないのかもと思う。

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