寝ても覚めても

東北の夏は涼しい。湿気が少なく、ヨーロッパで味わったような爽やかさがある。待望の梅雨明けから2日ほど、突き抜けるような(という、手垢まみれの比喩を用いつつ)青空を久々に拝むことができてうれしい。「東北が一番美しい時期に来たね」と、一昨日Barで隣に座ったおじさんに言われた。私は足早に残りの東北デイズを駆け抜け、あっという間に北海道へ向かうことになる。夏祭りの季節だ。一眼レフも久々の仕事量に反応が鈍りがちだ、と腕の悪さをひとりごちる。

あと1ヶ月はこの仕事というか旅というかなんというかよく分からない泥臭い日々を、しっかりとこなすことに尽きる。日本地図を広げて、行けなかった街を思う…ようなことはあんまりない。もう半年も日本の地方都市や田舎や温泉街を見て来たのだ。海外熱は下火。中米には行きたい。

スケジュールに余裕ができたのと、少し休みたかったのと、祭りの撮影があったのもいろいろあって、今週末は久々に同じ街にいた。理想的な規模の地方都市で、私は早く勝手を覚えたいと繁華街を闊歩する。金曜夜と土曜夜にそれぞれ違うbarに入り、友人を作ったり、おじさんとお喋りしたり、バーテンダーにどきどきしたり。20歳は大人の1年目、いつだって最年少だから気が楽。生絞りのブラッディメアリーは正義。

東京や横浜や友人や先輩や環境や社会が恋しい気持ちはいつだって失っていないけれど、一時帰省する前よりずいぶんマシになった。

以前私はある知人に「本当に好きだったら連絡するよ」とアドバイスされたことがある。恋愛だけではなく、本当に好きだったら連絡しあうものだよなあ、という話。めくるめく環境や社会において繋がれたままの関係ってなかなか難しい。それでも定期的に(たとえ1年に1度でも2年に1度でも)連絡しあう人こそが「本当に好き」なんだなあと。リアルで会う時にどんな対応するかも大事だけれど、ほとんどの人間関係って会わない時間のほうが遥かに長いわけで。

自分のいるべき場所にまだ帰らない方向へ舵を切り始めてしまったけれど、多分大丈夫。世の中には SNSも電話もメールも運命も偶然も好きも嫌いも興味もビジネスもあるから。何に追われているわけでもあるまい!あとは上手くいけばいいだけ。上手くいか なったときはまた考えよう。

お互い連絡ひとつよこさない間柄に「好き」を乗せようとする人がたまにいたりして、私はなんだか苦笑してしまう。連絡というと1:1のやりとりを想像するけれど、別にFacebookのいいねひとつでもTwitterのふぁぼひとつでも雲泥の差だと思う。