「大人の薬味」が分かる日は来るのか

苦手な食べ物は?と聞かれれば、即座に「辛いもの全般」と答えている。
わさび、からし、唐辛子、スパイス、ショウガ、ガリ。あらゆる「大人の薬味」が私は苦手だ。お寿司にわさびが塗られていれば避けたくなるし、カレーは辛口だと食べられない。屋台の焼きそばに添えてある紅ショウガはふたに移し、 親子丼に七味唐辛子をぶちまける友人を不思議な目で見る。


お寿司なんかは特にそうで、不可避な事態に遭遇した時は涙を流し、お茶を飲み、悶絶したりしている。魚介類は好きだが、サービス精神旺盛であれば手をつけないこともある。鍋パーティーと言われれば、「キムチ鍋なんて言ってないで一番平和な水炊きにしよう」なんて返す。


大人の薬味が好きな人に憧れる反面、味を見失ったりしないのだろうかと思う。 大人の薬味が好きな人は口を揃えて言う、「美味しくなるんだよ」と。私にとってわさび入りの寿司は、わさび味しかしない。辛いカレーは味が分からず、ただひたすらに痛いだけだ。


オーガニックを気取るわけではないが、素材の味を分からなくさせるものだと思っている。不可避な食事の場は年々増えて行き、その度 に子供だなあと笑われたり、変に気を遣わせたりして、申し訳なくなっている。たこわさび、頼んでいい?いいよ、食べられないけど。え、じゃあいいや。え、 いいのに、ごめん。


子供の頃に食べられなかったものを大人になって食べられるようになるのは、舌が鈍感になるからだそうだ。本能は苦味・酸味を危険と、甘味を安心と判断するらしい。辛味というのはまた違って、これは味覚ではなく痛覚である。辛味による痛覚が脳を刺激し、中毒になるのだとか。


ということは、元々は本能に求められていなかった味覚にも関わらず、「大人の薬味」たちは我が物顔で食事の場に出席していることになる。傲慢だ。かつ、我を正義かのようなツラをしている。例えばほら、カルパッチョの上に乗せられた刻みショウガとか。


箸でちょちょいと除ける恥ずかしさは年々増す。目上の方に、あるいは意中の人に、そんな姿は見せたくないのだが、下に敷いてあるメインは大好物だったりする ので、食べないという選択はとりたくない。さっさと私の舌が鈍感になればいいと思っている。私だって親子丼に七味とかかけたい。鈍感の方がきっと幸せだ。 いちいち痛がっていては、手間がかかるもの。

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