秋から半年間松山移住するんだけどその顛末を書く


昨日から愛媛県松山市にいる。明後日まで、3泊4日の小旅行だ。長かった日本一周も無事に8月31日にゴールし(連載は2,3週間遅れている。終わりの挨拶はこちらに書いた↓)


高原 千晴 - タイムラインの写真 | Facebook


慰安旅行なのだと言いたいところだが。

そんなことはなく、私はバイト面接のために松山までやって来ていた。松山の中心・大街道近辺のあるひとつのBARで働きたくて働きたくて、メールを送ったのは7月末のこと。「東京の学生です。働かせてください」”千と千尋”のようだと、自分でも笑ってしまう。何度かやり取りをして、面接までこぎつけて、そして働かせてくれることになった。秋から半年間松山のBARで修行僧になる。

なぜこんなことになったのか。話は遡り、6月末。私が西・中日本を終えて東京に戻り、渋谷でシーシャバーを営む知人に会いに行った時のことだ。旅行の話や恋愛の話などをして、彼が思い出したように言った。

「そういや、松山に日本で一番美味いBARがあるんやけど教えてたっけ?行った?」
「…教えてない!」
「そこの看板商品がブラッディーメアリーやねん!あ〜俺お前に言うの忘れとったわハッハッハ」

もちろん返す台詞は「えーーなんで教えてくれなかったのバカ!」である。何を基準に日本で1番美味いと言っているのかは分からないのだが、そこへ行くためだけに松山へ飛ぶ人もいるくらいだそうだ。

彼が下北沢でBARの店長をやっていた時、私は月に何度か足を運んで彼と仲良くなった。私が一番好きなお酒はブラッディメアリーだということも知っている。

※話の腰をボキボキッと折るが、ここで小咄。なぜ私がブラッディメアリーを好きなのか。初めて泊まりがけのひとり旅をした夜、出会ったおじさんに「ブラッディメアリーを飲む女はいい女なんだよ」なんて言われちゃったのが始まりである。この話をすると大抵は「バカだな」と一言感想を述べられ、もちろん彼も御多分に漏れず「バカだな」と笑うのだけれど、席に着くやいなやレモンソルトを効かせたブラッディメアリーを私に振る舞ってくれていたのだ。

そんなお店があることを、なぜ私に教えてくれなかったのか。君はブラッディメアリーを「あ〜はいはい、いい女ね」などと嘲笑と共に私に提供してくれていたではないか。…とグチグチいうのは置いておいて、とにかく、この会話が事のはじまりであった。

* * *

日本一周が終わって、復学して、東京に帰ったらお酒に関わることをしたいと思っていた。温泉を巡って感じたのは「好きに詳しいと楽しい」である。結論、温泉はどこでも良いわけじゃなかった。日々楽しく飲んでるお酒はもちろん好きだが、今のところ三浦しをんよろしく「丁稚」「アルコール成分さえあって酔えれば 良い」に近いのかもしれないと考えていた(作家・三浦しをんのワイン指南書に書かれてある。彼女はものすごい酒好きらしい)。

 

黄金の丘で君と転げまわりたいのだ

黄金の丘で君と転げまわりたいのだ

 

 


というわけで、バーテンダー のバイトでも東京で探すか…などとぼんやり思っていたのである。

さらに、私は休学を伸ばすか素直に復学をするか悩んでいた。1年同期とズレるというのは非常に心細いもの。大して大学に友だちにいるわけではないけれど、やっぱり友だちがゼミだの就活だのインターンだの話をしていると、何やってんだろうと悩んでしまう。前期休学をした時点でそれは分かりきっていたので、バカだなーと自分でも思うけれど。「後期に復学しても同期は就活モードだしなあ」「ゼミは春からだしなあ」「秋卒業ってめんどくさそうだなあ」かといって、休学を伸ばしてやりたいことなんてその時はなかったので東京に戻る気だった。

* * * 

そんな時、突然舞い降りた「松山にブラッディメアリーが最高に美味しいBARがある」情報。うーん、 行ってみたい。だけど、私が松山に次行くのはいつだろう。その一杯を飲みにいくだけでも価値がある、などと彼は言っていたけれど、そう簡単な話ではない。

首都圏の温泉を巡りながら事故に遭いながら、考えていた。日本で一番美味しいと言われているようなところでお酒の勉強が出来たらすごく良いじゃないか。東京でバーテンダーバイトしながら学生やるってのも全然アリだけど、松山かあ。松山ってめっちゃ良い街だったよなあ。 道後温泉あるし(道後の湯は特段珍しいものではないのだけれど風情がすごく良い)、路面電車あるし東京から遠いし暖かいし。寒いので東京以北・以東は除く とすると、路面電車のあるいい感じの街は松山・高知・長崎・鹿児島あたり。移住してしまおうか、半年間。お酒の勉強させてもらいながら地方バーテン ダー。…これはめちゃくちゃ楽しそう。すごくいい。その松山のBARで働けたら満点だなあ。連絡してみようかな。

…というような話を、1週間後再び帰京したときに彼にしたら笑って反対された。「めっちゃ有名なとこで多分全国各地のバーテンダーが働かせてくださいって頼みに来るような とこやで。氷が何度で酒が何度でああだこうだっていう、職人の世界やねん。そんな未経験のヤツが半年働かせてーなんて無理無理」。それから私はそのお店を言葉通り諦め、旅が落ち着いたら地方の働かせてくれそうなBARを探すか、という感じに行き着いた。私は残り2ヶ月の旅に出る。

同じように温泉に入り記事を書いて寝る日々が続く。たくさん悩んで友人に相談をして、いやしかし連絡ひとつ入れずに諦めるのはいかがかと、結局メールを送ってみた。連絡に多少のすれ違いがあったものの、先方は受け入れてくれた。「本当は今すぐにでも飛んで行きたいんですけど仕事の関係で温泉に行かなくちゃいけなくて夏は東北北海道にいるんです」もうめちゃくちゃである(もちろんもっと丁寧に説明したよ!)。メールでやりとりをした結果、私は旅が終わった9月上旬に松山へ飛んでバイト面接を受けさせてもらえることになった。

そして、昨日働かせてもらえることになったのです。

先方は「これも何かの縁で」「教えることも勉強のうちだと思いますし」と言ってくれた。しっかり毎日フルタイムで居させてくれる、生きていけるだけのお給料をくれる。こんな身ひとつで手に何も持っていないヒヨヒヨな私(半年間の期限つき)を…!感激の嵐だった。もうなんて言ったらいいのか。

もしバイトに落ちたら、ひとまず松山のBARを回って働かせてくださいと言い回ろうと思っていた。それでも無理で他の地方を色々連絡してみて、駄目だったら普通に東京に帰ろうと。バーテンダーのバイトもお酒の勉強も、東京で出来ないことなんて何ひとつなかった。

来てみて受かったから良かったものの、実際は本当に本当に何度も何度も悩んだ。私の家族やら友人やら大学やら環境やら社会というのは、まごうことなく横浜・ 東京にある。留学を含めると1年近く帰っていないことになり、さらに半年伸ばすとなると、もう私は1年半もいないことになる。1年半の間に、私の社会や環境がなくなってしまうのではと不安で仕方ないと悩み倒していた。渋谷で遊んで新宿で飲んでオシャレなカフェでお喋りしたりエラいこと言ってみたりLIGに戻ってライターの仕事を東京でやったり履修組んだりバイトしたり授業出たり、それらは1年間喉から手が出る程恋しかった私の社会だ。対人関係もどんどん 「ごぶさた」になっていく。手からどんどんすり落ちて行く。知らない言葉や流行や関係や常識が知らない間に知っている人へ流れ込んでいく。それは今も怖 い。

と書いてみたものの、来ちゃえばなんてことなかった。そんな怖さよりも楽しみがここにあった。

明日までに住処をきちんと決めて、月末に松山行きの片道搭乗券を手配すれば、もう大丈夫。