土地の呪縛

休日に被災地と呼ばれるところへ行った。温泉なんて湧いてないのだけれど、良い機会だと思い南東北の海沿いへ。恥を承知で最初に書いておくが、私は「東日本大震災」に対してかなりドライな人間であった。震災当時は高校3年の春で、大学入学を控えていた頃だ。ニュースに噛り付き、卒業や旅行や入学という一大イベントの方がよっぽど大事で、東北に縁もゆかりも無い私にはボランティアなどという勇気も発想もなかっ た。したことと言えば、募金と節電くらいのもので。そんなこんなで2年半が経ち、思い掛けなく被災地を訪ねることになった。

つらつらと被災地の現状を書く気はない。どれほど心を痛めたか、なんて話をしたいわけではない。ただここで話をしたいのは、「津波被害の大きかった野原に新しい家が建っていた」ということ。

街が唐突に終わり、それから野原が海まで続いている。海水をいやというほど吸った土地に作物は育たないらしい。海岸沿いでは横になった電柱や、ひしゃげた堤防や、階段のない歩道橋などが見える一方で、高々と盛り土が施されていた。そんな野原に、新しい家が建っている。しかも1軒ではなく、いくつも。正気かと疑った。ちょっと先にはプレハブの軽そうな仮設住宅が未だ残っているというのに。地価はきっと何度も見返すほど安くなったのだろうが、まさかあんな大惨事が起きてもまだここに住みたいと思うとは…。おそらく、この地で生まれ育った人だろう。土地の呪縛だ、と思った。

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先日出会ったある男性も、誇らしげに、かつ恥ずかしく、生まれ育った街が好きだということを話していた。「若い頃は東京に行きたかったんだけどね」なんてこぼ していたが、現在は役所勤めをしているそうだ。

小さな頃に遊んだ公園から友達と入り浸ったレストランまで。18歳までの自分が生まれ育った街には、ずっと18歳までの自分が生きているような気がする。転勤族は土地の呪縛が分散されるから、少々身も心も軽そうだ。生まれ育っただけではなく、大学時代に住んだ街、数ヶ月働いただけの街、好きだった人がいた街。年を重ねるごとに土地の呪縛は増えていく。足腰が重くなっても、肉親と縁を切っても、それからは抜け出せない。自身が疑うことはない、 最も信憑性の高い過去の話だからだと思う。

生まれ育った街が嫌いでも、好きな街がひとつもない人はいないだろう。受け入れてくれた街がなければ、どこへも生きてはいけなかったはずだ。

東京。あこがれの足音が鳴り止まないせいで、街はちっとも眠れない。その響きだけで囚われてしまうほどの強い街だ。

ひとまず、野原に建つあの家が、向こう何十年無事であることを祈るしかない。縁もゆかりも無い土地を愛せという方が無理な話なんだろう。住めば都、なんて言葉もあるけれどね。住まなければ都にはなり得ない。