喉から手が出る程社会が恋しい

旅の話をすると「社会」というワードばかり出て来るようになった。喉から手が出る程社会が恋しい、というのは、私が約4ヶ月間ずっと思っていることだ。もはや、旅のテーマといってもいい。 社会が恋しい。

昨日一昨日と、上司の実家に泊めさせてもらった。上司のご家族と酒盛りをしていて、社会が恋しいんです、なんて言ったら笑われてしまった。そりゃそうだなと思う。世の中には社会や組織を嫌う人ばかりで、うんざりしている人は多い。でも私が今やっていることは社会から断絶されたところにあって、経済の営みに組み込まれていないと強く感じていて。そういうのがノマドっていうんだったら私は絶対になりたくない。私は社会の良き歯車となりたいし(これは大学の先輩がよく使う台詞で、非常に気に入っている)、経済の営みに干渉したい。上司の従姉妹がお仕事を中断して遊びに来ていて、「すぐ嫌になるよ」と笑っていた。「今みたいな日々は、もうこれから先一生ないだろうから」。多分そうで、これだけ言ってても、結局私はすぐに社会にうんざりすると思う。

今日、人生初のOB訪問をした。某スポーツ新聞で旅の連載をしている方だ。2ヶ月前から連絡をとっていて、ようやっと折り合って会うことが出来た。 マジメな話ばかりで退屈をさせてしまわなかっただろうか。学生がなにを生意気な、なんてことをたくさん言ってしまったかと思う。業界人、だったなあ。 喉から手が出る程恋しかった、社会をちらりと見た。諸方面にお礼の連絡をしていたらこんな時間だ。

「この旅で1番学んだことは何?」と聞かれて、とっさに「自分の社会を愛せばいいと思いました」と答えた。その地域にはその地域の、その人にはその人の社会がある。格差是正という過干渉。地域活性というてこ入れ。なんか違う気がする。
私は横浜で生まれ育ち、東京で学生をやっていて、目の前に広がる社会の営みに組み込まれることが最善のように思う。何も意識を遠くに持っていく必要なんてどこにもない。だけど、それを俯瞰できているのは非常に大事なような気がする。

自分の社会は無限に思えて、視野程度の狭さしかない。人間関係も仕事もお金も。360度のうち、200度を愛する。目を伏せたくなる時が必ず出て来るけれど。そのときはまたそのとき考えよう。