本当に好きでないと表情筋は似ない

以前、友人に「好きな人の表情筋の使い方って真似しちゃうよね」と言ったことがある。
この「好きな人」は当時恋愛的に好きな人を指していたのだが、これは恋愛に限ることではないなあと思う。私はその人の笑い方が好きで、無自覚にも真似してしまうことがあった。そして好きでなくなると、さっぱりその真似はしなくなったのだ。

私は表情筋の使い方をよく観察する。笑い方だけでなく、眉をひそめた時や、驚いた時、気まずそうな時。会話をしていてころころ変わっていく表情とい うのは、その人のとてもキュートな部分だと思っている。バチッと記憶にとどめて、「ああ、あの日あんな顔して驚いてたなあ」と思い出しながら真似してみた りする。決まって仲良くなる友人や好きになる人は、表情筋の使い方がわたし好みだが、これは人によって異なるのでうまく形容できない。眉から口にかけての 筋肉を、縦を使って表現する人。まぶたを上手く動かして表情をつくる人。つまりは表情豊かな人なんだけれど、なぜだかグッと来ない満面の笑顔を作る人だっ ている。

それを聞いた友人は「本当に好きじゃないと、表情筋は似ないらしいよ」と答えた。
彼女がどこで仕入れた言葉かは知らないが、その返答に勢い良く頷いたことを覚えている。


例えば、何かの席で少し遠い誰かと目が合ったとする。その相手が変な顔をして、あるいは笑顔で、こちらの目線に応えてくれる時があるだろう。私はきっと、そ の人が好きであればその顔を真似すると思う。こういうコミュニケーション、誰にでも経験があると思う。もしこれをそんなに好きでもない人にやられたら、あ なたはその表情筋の使い方を真似できるだろうか。私はおそらく、違う表情をする。


相手が驚けば同じように驚き、相手が笑えば同じように笑う。こういうコミュニケーションって、好きでないとできない。単純なことなんだけれど、これである程度お互いを計れてしまうのではないかと思ってる。距離とか、好き度とか、信頼度とか。