軽くて新しい、2016年製のわたしについて


2016年、人生が新品に入れ替わったような毎日です。
そんな記念すべき年も、きょうで折り返し。

年末に結婚した私は、2016年から新しい名前で生き始めました。
仕事が変わったので、それに伴い社会的な名前も変わりました。
免許証にも社員証にもクレジットカードにも都民税の納税通知書にも、
生まれたての名前が刻んであります。
 
苗字の変化がそんな大それたことかと、笑う方がいるかもしれません。
わたしもそう思っていたのですが、やはり呼ばれ方も名乗り方も変わると、
「なんだか違う人になったみたいだなあ」と、そんな気分になります。
 
結婚前に「たかち」と呼ばれていたわたしを、職場のひとは当然知りません。
(前の職場ではみんながみんな、そう呼んでくれていました)
ニュースを扱うところで働いているので、高知東生さんが捕まったときは大変でした。
呼ばれていないのに呼ばれている気がする。わたしじゃないのにわたしな気がする。
当然ながら、結婚前のわたしを知っているひとはいないのだと、ひとりごちたり。
 
 
つまりは、結婚してから半年が経ちました。
22歳(当時)の結婚だったので、この半年間、それはそれは沢山の質問を受けました。
 
「いつ結婚を意識したのか」「どこがよいと思ったのか」「なぜその人に決めたのか」
 
そして、煮え切らない答えばかりが口から出ました。
結婚したときは、とにかく言い訳みたいな理由が湧いて出てきたのですが、
途中であまり頭で考えても意味がないように感じ始めました。
なんていうか、人生の流れ。そうとしか言いようがないんです。
 
たとえばもっと理性的に現実的に、
 
「相手の将来性」「マネープラン」「子どもを産む時期」
 
そんなことを考えようと思えば、考えることももちろんできました。
ただ、考えたとしてもおそらく思い通りには行かないなと、
頭の中で割り切っていたのかもしれません。
予定を立てられるほど、わたしの手元には資材がないとも言えます。
相手にひたすらに将来性を求めるような時代でも、
計画的に子どもを妊娠できる状態でもないと、考えているのも事実です。

 いやもうほんとに、わたしはたっぷりと仕事をして生きていたいので、
いつ子どもを産んでいいタイミングなんてどこにもないんですよね。
 
 
 
 
 
未婚の知り合いが、「結婚なんて嫌。人生をもっと楽しみたい」とわたしに言ったので、
「結婚したら人生は楽しめなくなるの?」と噛みつく夜もありました。
 
人生が楽しくなくなったか、と聞かれれば、それは完全にNOです。
ただすこし、重みが減ったなあと思ったりします。
 
このエントリが大好きなのですが、
つまりは「ひとりの人生はひとりじゃ消費しきれない」ということを書いています。
そのぐらい、重くてハイカロリーなものなのだと。

重いものをひとりで背負っているときは、めちゃくちゃに楽しかったりしますよね。
バックパッカーの旅をしているときがそう。
すべてが自分の足と荷物で成立している喜びは、代え難いものです。
 
でも、宿に着いて背中のリュックをおろした瞬間「意外にしんどかったな」と思うように、
重さはすごく無自覚で、体力を知らない間に奪われていることもしばしば。
人によっては、リュックなんておろさない方が楽かもしれません。
 
 
早々に宿を決めたわたしは、結婚してからというものの気楽に日々を過ごせています。
ずいぶんと抱え込んでいた重みを、分け合えるようになりました。
子どもができたらまたきっと、別の話になるかもしれませんが。
 
ただ気楽なのは、家にいるときと仕事が休みのときだけ。
半年前は旅行情報誌を作っていたのに、いまはスポーツの仕事をしています。
新しいことだらけで、24時間のトータルでみれば全然気楽ではありません。
 
そういうバランスと刺激がまた、
わたしの心と体を健康にしてくれているのかなあと思います。
季節ごとに体調を崩していた時期もあったのに、
風邪も引かず胃腸炎にもならず、よくやれている感じです。
 
 
前職の愛してやまない大大大大大先輩が教えてくれた、
「毎日ね、ほどほどでいいのよ」という人生のコツを思い出しては、
ちょっと泣いたりもしています。
 
やりたいこととやれていないことが数え切れないほどあって、
なりたい自分となれない自分が悔しくてもどかしくて、
あーでもこれ以上がんばりすぎると辛くて寝込むって線を越えないために家庭があって。
 
そうやって思い起こせば結婚前も結婚後も何も変わらず、
まだまだ丁稚だなと、思うのでした。
 
 
2016年の後半も、生き抜きます。
 
 
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