白紙の夏

以前穂村弘角田光代の対談を読んだ時、「恋愛をしている時よりもしていない時のほうが創作がはかどる」などという話をしていてなるほどなあと思った。

不幸なほうが幸せを噛み締められるというのはわからないでもない。

そ れで思い出したのは、友人が自分のことを「8割人生」だと言っていたときのことだ。8割の努力を継続することで8割の満足を得て生きている。一流、第一志 望じゃなくとも、第五志望ではない人生。誰からも評価されないとこぼしていた。不幸ではないが、ちりちりする幸せはないのだと。

と今書いていてさらに思い出したのは、最近知り合った30代後半の男性がお酒の席で結婚だのの話になったとき、「僕は一番好きな人がいて、でもその人は結婚しちゃって、まあ離婚しちゃったんだけど、つまりは第一志望はもうだめだったんだよね」と言っていた。

第一志望がだめだった、という言葉にたぶん、これは酔いがある。
そう考えた方が不幸でいられるし、幸せでなくても納得できる。

先日、鵜呑みにして夢っぽいことを立ててみたらあっさりと破れた。
おそらく人の言葉で自分を決めるなということだと思う。

思えばすごく久々に、白紙の夏が来た。
東京に住みながらの夏は初めてだ。
不透明でもやがかかっていて嫌だなあと思う。
そういう夜には松尾スズキの「大人失格」を読み返したりする。

 

大人失格―子供に生まれてスミマセン (光文社知恵の森文庫)

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