変化する

ちょっと前に誰とだか忘れたけど、「自分の人生を変えた人っている?」という話になった。
いわゆる著名人、文化人、歌手、作家ではなく、自分の知り合いの範囲で。

私にも思いつく人が何人かいる。 それは何気なく友達だった子であったり、以前好きだった人であったり、電波を介して知り合った変態であったり、尊敬してやまない先輩であったり。もちろん 長い目で見れば私と関わった人全員が私の人生を変えていると言っても過言ではないのだけれど、なんだか徹底的に、影響を及ぼした人っている。そういう人た ちの言葉は多分いつまでも、私の中で「ああ、あの人あんなこと言ってたな」ってうるさいんだろう。感謝の気持ちでいっぱいだけど、一度変えられてしまった こともあってか、なんだか呪縛に近い。

誰かの一言でぐるりと変わる。その一言を飽きる程噛み締めているのはわたし1人だけで、発言者なんかすっかり忘れていたりする。第三者は「変わったね」「変わらないね」と断片的な手放しの感想を述べるだけ。自分の変化は自分だけのもので、自分だけが手に取るようにわかるもので、人の目なんかどうでもよくて、ひとりで楽しむものだと最近思う。

3ヶ月前と今の私は違うのだけれど、変わらないねって言われるだろうし、そもそもその人の前では無意識に知られてる自分に戻ると思うし。 喋り方とか見た目とかは置いといて。

求めるようなダイナミックな変化って自分の軌道とは明後日の方角にあるのかも。「突然○○がしたくなって」「唐突に○○だと思ったから△△した」とか、突然でも唐突でもなんでもなくて、全部どこかに理由があるはずで。きちんと観察すれば線はきちんと続いていて、右へ行ったり左へ行ったりしてるだけで。

何より「変わりたいな」というのは「変わったね」が欲しいだけだったのかもと思う。軌道外の領域に、自分が知らない間に踏み込んでいるわけがないよなあ。全く人の目ってやっかいだ。