みんなできる、みんなやれる

2 月、デザイナーさんの結婚パーティーに参加させてもらった。幸せいっぱいの美男美女カップル(夫婦)を見ながら、素敵ですねえ次は誰ですかねえ、とちょう ど隣にいた社長に声をかけた。誰々じゃないかなあ、と何度かキャッチボールをした後に社長が一言、「大丈夫、遅かれ早かれみんな結婚するよ」と言ったこと を覚えている。「そうですかねえ」なんて笑って返したけど、あの言葉がなんでかずっと離れない。遅かれ早かれみんな結婚するよ、かあ。結局、次の次は社長 だった。

1月、運転免許をとりに茨城へ行った。 長い春休みを使っての免許合宿、それなりに友達を作ってそれなりに苦戦しながらも免許を取得することができた。学科がびっくりする程面倒で、出来た友達 (確か、アヤちゃん)と「ホントにみんなこれやったのかね」と辟易したことを覚えている。そういえば初めて実技でハンドルを握った時も信じられない程怖く て、「落ち着け落ち着け」って教官に笑われていた。いつの間にか駐車も右折も高速道路も不自由なくなって、旅の走行距離はあっという間に13000kmを 突破している。

大学に入ってから、眼鏡からコンタクトレンズに変えた。本当の私デビュー!と言われるとそれまでなんだけれど、新しく出 会った人たちから「眼鏡よりコンタクトの方がいいよ」と新鮮な意見をいただくと、完全な眼鏡キャラだったのにあっさり踏ん切りがついてしまった。今でも中 高の友達に会うと「違和感あるなあ」「前の方が良かった」と笑われる。 御茶ノ水の眼科で初めてコンタクトレンズをつけることになった時、怖くて怖くて仕方なかった。そんなのはコンタクトレンズ使用者にとっては誰しも通る道 で、スタッフの方は「はい、瞬きしないで上向いてねー」と慣れた様子。眼鏡歴の方が圧倒的に長いのに、今となっては眼鏡の方が生活しにくい。

ピ アスを初めて開けたのは中学3年の春、高校入学まであと数週間という時だった。示し合わせたわけではないけれど、兄が実家を出て行く、高原家にとって記念 すべき日だったと思う。兄としばしのお別れを告げ、私は布団の上でぱちんと穴を開けた。にちゃ、という肉が潰れる音は今でも忘れられない。母は眉をひそめ て理解ができないとポーズをとっていた。結局私は全盛期には合計5つ耳に穴があったんだけれど、2つ閉じてしまった。トラガスも軟骨も、まだまだ憧れの存 在である。

20年生きても私は遊園地の絶叫系が苦手で、辛い食べ物が苦手で、ウインタースポーツがからっきし駄目である。大学生の資格な いんじゃないかってぐらい、大学生のアクティビティが苦手。その分歌うことや書くことや撮ることが好き。泳げるけれど走れない。裁縫は苦手だけれど料理は 人並みにできる。楽譜は読める。箸は普通に使える。小さな虫でも殺すことができずに逃げ惑う。

「みんなできる」「みんなやれる」は、本当に「みんなできる」し「みんなやれる」ことなんだと思う。生まれ育った環境とか経験の浅さとかでできないやれないだけ。できなくたって困らないことだらけだし、やりたくないことはやらなきゃいいってだけで。

そ れでも「みんなできる」「みんなやれる」を突きつけられると、途端に追いつめられる。私はこないだペーパードライバーの友人を笑ったり、一杯で酔いつぶれ る友人を笑ったりした。おいおーいって。いやいやもちろん、悪意があって笑ったわけじゃない。スケートで立つことすらままならない私を後輩は笑ったし、遊 園地で絶叫系乗れないから待ってる私を友人は笑った。「みんなできる」「みんなやれる」がズレる場面って誰にでもあると思う。なんかできない自分がすごく 申し訳なくなる。でもそういうズレを笑ってくれることで助かることもたくさんある。ていうか笑って流してくれないと救われない。

「平凡が 一番難しい」という言葉が手垢まみれなのは、どれだけ日々ズレが生じてるかを現してると思う。昨日観た映画でも、新井浩文さんが「平凡ってのは一生懸命作 り上げるものなんですよ」とか言っていた。しかも今にも殺されそうな時に。あれ、最期の台詞だったら超かっこ悪いよなあ。平凡はシリアスなんかじゃないの になあ。

 

 

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