「味方の味方」でいることの難しさ

 

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この記事は #いい感じにはたらくTipsアドベントカレンダー2019 の企画に沿って執筆しています。

https://adventar.org/calendars/4458

 

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4年前、雑誌の編集部で働いていたとき、とある取材先とモメた。それはもう、なかなかの修羅場で、向こうからは「あなた達からの取材は今後一切受けません」と言われ、私からも「今後一切掲載はしません」と勢い余って返してしまったほどだった。

 

 

 

その取材先は関東では名の知られた施設で、イベントがあると百万人規模で来客のあるところだ。ただ気難しいことでも有名で、後から聞いた話では、何人もの記者が同じようにモメたり、出禁になったりしているという。

 

 

私は施設(とても広大だ)の外れにある、小さなスポットを記事で紹介しようとした。最初は掲載の許可をいただいたけれど、インターネットで調べても、スポットの詳しい住所やマップが出てこない。原稿を確認してもらう際に住所を聞いたところ、「調べるのがあなたたちの仕事でしょう」と突っぱねられ、以降何度も電話をしたり、名刺を同封して手紙を送ったりしても、取り付く島もなかった。些細なやりとりから、随分こじれてしまった。

 

 

記事の企画が「スポットを巡る」ものだったので、そこだけが落ちる(=掲載がなくなる)となると、記事の構成全体に影響が及ぶ。月刊誌なので時間もない。胃の痛む日々が続いた。

 

 

いま思えば、雑誌なんて「行きたいな」という気持ちにさせたら良いのだから、「詳しい場所はスタッフに聞いてね」などと逃げればよかった。そもそも、私の企画の趣旨や、ライターの書いた原稿が気に食わなかったのかもしれない。向こうは「なぜ外れの小さなスポットだけ紹介するのか。本丸もちゃんと紹介してほしい」と考えていたのかも。私の焦りが伝わって、余計に逆撫でしてしまっていた可能性もある。4年も前のことなので、ああすればよかった、こうすればよかった、ばかりだ。

 

 

 

 

ほどなくして、「あなた達からの取材は今後一切受けません」「今後一切掲載はしません」の修羅場が電話口で起こり、記事は大幅に修正した形で世に出た。

 

 

「今後一切掲載しない」などと、新米の分際で口走ってしまった――と、電話を切った途端、青ざめた。編集部も一瞬、しんと静まったことをよく覚えている。

 

 

けれど、顛末を知ったデスクは、「あんなにキレてる人久々に見た」と笑いながらも、「住所ひとつも教えてくれない意地悪なところなんて、今後も紹介する必要ないよ」と言ってくれたのだった。

 

 

デスクなのだから、「勝手なことを言うな」「そもそもなんでこうなった」「記事のクオリティに最後まで責任を持て」と、私を叱ることだってできたはずだ。でも、しなかった。一緒に腹を立ててくれたし、記事の修正は致し方ないと飲んでくれた。ずっと優しかった。

 

 

あのとき、どれほど救われたか。うまくいかないときに、どうしようもなくなってしまったときに、怒ってしまったときに、味方が味方でいることの安心感は計り知れない。

 

 

 

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それから、もうひとつ例を。

 

 

大きな会社にいるときは、何度か内紛が起こった。それぞれのプロジェクトが個別の目標を持っている。目標を達成するには、別のプロジェクトの何か(予算、リソース、面など)を小さくしたり、減らしたり、といった交渉が不可欠だった。正解のないことばかりなので、議論も絶えない。

 

 

時折、別のプロジェクトに加担をしていて、自分のプロジェクトをないがしろにしてしまうメンバーがいる。例えば、「統合することになりそうだから、先にあちらに恩を売っておこう」とか、「リソースも予算も期待度もあちらのほうが大きい。こちらは成果を出しても、評価されにくい」とか。仲間は当然、「誰の味方で仕事をしているのか」と、不満を持つ。目標達成できなければ、昇給も昇格も叶いにくい。

 

プロジェクトマネージャーまでもが、別のプロジェクトを優先してしまうことがある。これはおかしいぞと思い、マネージャーに刀を抜いてみると、なんだか面倒事をお願いされるようになってしまう。そういう出来事をいくつか見かけた。

 

 

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ようやく本題に入る。私が「いい感じに働く」上で大事にしているのは、いつも“味方の味方”でいることだ。ひとりの人間としても、プロジェクトメンバーとしても。

 

 

前述した旅行雑誌のデスクのように、味方でいてくれることの安心感は、同僚・上司への信頼に直結する。「クライアントを説得しろ」という前に、「あのクライアント、本当にクセ強いね~」となだめてくれる人がいるのは、とてもありがたい。“周りはわかってくれている”だけで、現場は折れずに戦えるものだ。

 

ネットニュースの編集部(前職)の上司とは、「会社を辞めた後にも使えるスキル・経験」について何度も議論ができた。一生この会社で働くわけではないと、上司も自分もわかっている。そういった前提のうえで、いまどんな仕事をすべきか、と考えられるのは、“ひとりの人間として味方でいてくれている”と実感できた。ずっとずっと、ありがたかった。

 

 

 

プロジェクトメンバーの「味方の味方」でいることは、大きな企業であるほど難しいのではないかと思う。予算があり、上からも期待のかかっている別のプロジェクトに加担したくなる気持ちもわかる。この舟はいずれ沈むのではないか、沈む舟なのであれば隣の客船にうつってしまいたい、なんていう気持ちだろう。

 

けれど、企業にいる限り、プロジェクトが解散しても人は残る。また一緒に仕事をすることもある。そうなったときに、「この人は信頼できない」なんて思われていたら、次の戦いはだいぶ厳しい。マネジメント層であれば余計に難しいかもしれない。言葉が現場に届かなくなるからだ。

 

 

「未来を考えれば、目の前にいない人の味方になったほうが得だ」――なんて場面も、働いていたら時々あると思う。けれどその様子は、目の前の人からは丸見えだ。身内に敵がいると、チームにも企業にも不満が出る。すべて悪影響だ。それでも起こってしまうのは、おそらく「味方の味方」が簡単ではないからだろう。もしかしたら、プロジェクトのためを思って、仮想敵になる人もいるかもしれない(しかしそれは、あまり良い効果があるとは思えないんだけど)。

 

 

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いまはエンタメコンテンツを作る CHOCOLATE Inc. で働いている。今まで働いてきた会社と比べると規模もまだ小さく、生まれたての会社だ。当然、予算やリソースは有限なので、似たような――目標達成に向けて、誰がどう働くか――議論は絶えない。思うように進まないな、と悩む場面もある。

 

 

それでもいまは、プロデュースという役割もあり、日々プロジェクトメンバーの味方でありたい、と思っている。信頼できない相手と、いいものは作れない。そのために優しくありたいし、一緒に戦っていく姿勢だと(私なりに)見せている(つもり)。

 

 

会社員の肩書きがついて5年目。たくさんの上司に教えてもらったことを、私も体現していかねばと思う。いまよりも視座が高くなって、味方の味方でいることが簡単ではなくなっても。

 

 

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「いい感じにはたらくTipsアドベントカレンダー2019 の仲間たち

https://note.com/aotatsutomu/n/nf7459012fee2

青田さん&りょかち、お声がけありがとうございました!